スクラムからはずれて気づく。
午前、スタジオにて
段ボールの箱を開き、数枚繋いでキャタピラ状のものを作る。一人の子にミシン目をつけるカッターの使い方を教える。
午後、体育館にて
キャタビラ状の装置をはじめ二つ、途中で増やし計五っ用意して屏風のように立ち上げ、隠れんぼや、電車ごっこをして遊んだ。
途中、休憩をとろうと声をかけても休もうとしない。段ボールの大道具を畳むと、やっと少し子供たちはからだを休ませることができた。
一緒に遊ぶ大切さ
今回、事前に何を作るか二転三転し決められずにいた。前回までの授業導入の流れを振り返ると、
- 新聞紙の風船
- 新聞紙の立体切り紙
- ゴム風船+新聞紙のたまご
- 新聞紙の巻紙やねじり棒で作った立体
前回、素材について少し踏み込んだ扱いができたはずだが、果たして子供の遊びがそれに伴い深化したのかどうか。
こちらが作ることに比重を置くうちに、子供が自分で大事な遊びに気づく瞬間を見過ごしている可能性も否定できない。
事実、2回目以降先回まで子供の遊びの中に答えがあって、自分のやる方向は決まっていた。しかし前回後半から自分の中で「子供と一緒にあそぶこと」がやや希薄になっていたようだ。
「一緒に遊ぶこと」は何かしらのイメージを相手と共有する過程。もしそれが希薄なら作って遊ぶ根拠も脆弱になリかねない。
今回気づいた良い点。子供の道具への関心が、単なる物珍しさから正しい使い方へと向いてきたこと。