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児童発達支援センターで、つくって遊ぶ教室の1日。

シッポ、つけて!

たまご

今回はたまごを新聞紙でつくろうと決めていた。それには、土台として風船を用意していた。 さて、うまくはじめられるか。スタジオに入って見ると、こどもたちは床に近い低位置の小窓に集まって、何やら熱心に見入っている様子。熱い視線の先には、虫の卵らしきものがあり、さわって硬さをたしかめたりしてわたしも早速参加、午前中はこの細長いたまごの観察で終始しそうな気配だった。まあ、それもいいか。

ただ、たまごを作ろうと考えて来たので、膨らませていない風船を取り出し、たまごをつくろうと言うと、風船と足踏みポンプに子供たちの関心が向かう。風船を膨らませても留められずに手を離すと飛んでいってしまう。これがもう面白い。膨らましては飛ばしを繰り返す。

ポンプは一つしかない。順番を待ちきれない子が自分の息で膨らませようとするがスタッフからは「無理だよ」と声がかかる。ところが、風船はやすやすと膨らんで、その後も次々に新しい風船が「生まれた」から驚きだ。午前中出来た紙のたまごは一つだけだったが、風船の方は子供達を完全に魅了したようだ。

こども同士

午後は体育館に移動して遊ぶ。天井の梁から毛糸をぶら下げ、先に風船を付けておく、部屋の対角線上にある窓枠から窓枠へ毛糸を貼りその途中にも風船をぶら下げる。新聞紙をつないで敷物状にし、その下にも風船を隠しておく。

子供達が部屋に入ってくる。数分後には、天井から下がった毛糸も、窓から渡した毛糸も跡形もなく、子供の手には風船に繋がった毛糸が一人一つ。ここからは予想通り、毛糸の端を持って風船を浮かせながら走り回る。時々、別の子の毛糸が絡み、もつれる。

毛糸の絡みは人間関係も生む。取った、取られたという単純な対立とは違う状態が生まれている。実際、前回までにあまり見られなかった二人のこども同士の連携の芽も生まれる。

後半、一人の子が新聞紙を捻って狐の尻尾状の形にし、先っぽに毛糸の端を結び反対の端には風船をつけたものをもって「しっぽ付けて」と言う。ズボンの後に差し込んでやると、しっぽを揺らして「取れるなら取ってみたら」のサイン。もちろん、ご要望通り追っかけっこが始まり、他の子達もレジ袋に毛糸を付けたものや、空気入れの蛇腹ホースなど各自のお気に入りで遊んでいる。

遊びかたの発見

作るというとモノや技術に意識が向きやすいが、今回技術とは別の意味で面白いと思ったのは、やはり上記のしっぽの発見だ。追いかけっこを成立させようとすると何が必要か?例えば相手に触られたら鬼になるなど、言葉によるルールの共有、サッカーのような決められたボールの奪い合い。後者は時に激しい接触を伴うし、幼児にとって自分のお気に入りのものが手元から奪われた時には怒りの対象になる。

さて、シッポが奪い取られても、自分の手からもぎ取られるような当たりの強さも屈辱感もごく少ない。むしろ、相手に対して「取ってくれ」と言わんばかり。ユーモラスで、いろいろな意味でシッポという発想はユニークだ。